染みだす閾

阿部 明子 展「染み出す閾」(仙台写真月間2014). 2014.09.30(火)〜2014.10.05(日)

 

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下記、仙台の書本&cafe magellanのブログより転載

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市内のギャラリー、SARP(仙台アティストランスペース)で開かれている、阿部明子さんの写真展です。
写しとられているのは、彼女の住まい、東京にあるシェアハウス。それが、概ねふた手にわけて展示されています。

左の壁には、暮らしぶりもあらわな、住人たちの室内やベランダが、右には、共有スペースなのか、その床材をみなで張り替える作業が見てとれます。
両者とも、時間と空間を違えた写真を複数、同時に見るよう促す構えになっています。被写体じたいには大差のないイメージを、かたや重ねては合成処理を施 し、あるいはフレームをわけて並列するのです。前者が、絶妙なズレと一致からめくるめく歪みを画面に走らせる一方、後者は、符合するとは限らない画面どう しがスリリングな連携を結びます(要は、コーリン・ロウのいう「実と虚」ふたつの「透明性」に相当する。ただし、両者を対立させるのでなく、かえってサー フェスを構成するふた通りの仕組みとして等価に捉え返す)。
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いずれにしろ、被写体そのものよりか、そのサーフェスをどう抽出し、いかに短絡させうるかが試されているわけです。それは、モチーフの選択にも色濃く反 映しています。ボリュームのあるものやフェティッシュなものが周到に避けられ、むしろひっくり返った椅子や卓が裏面を露呈します。はたまた、柱の直線が パースを発生しかねない構図にも拘らず、壁紙の白がそれを吸収、消化してしまい、画面をフラットに押しとどめたり。物理的にせよ心理的にせよ、厚みなるも のはことごとく閑却され、サーフェスばかりに注意が向けられます(他にも、点字を打った紙片やすりガラス等々)。
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 上3枚すべて作家ホームページより転載。

そしておそらく、この注視を徹底した極みには、床材を張り替える一連の写真が位置づけられます。被写体(床と床材)そのものがサーフェスなのはいうまで もなく、なかでも象徴的な一枚は、露出した床を見下ろして撮影したもの。これが、まるでイメージを合成するプロセスをなぞるかのように、ギャラリーの床に 重ねて直置きされるのです。しかも、同じ手つきはそのまま、写真内と目の前の床を並列させることになるほかありません。なにしろ、プリントのエッジがすぐ 目の端に飛び込んできますから。すると、パースや縮尺、陽ざしの加減など両者のギャップに誘われて、足下の床までサーフェスとして関係づけられ、駆り立て られる。写真を見るための契機に仕立てられます。つまり、あらかじめ当て込まれた写真と現実の境界が却下され、サーフェスの呼応し合う圏域こそがあらため て写真として再定位されるのです(なお、壁掛けと床置き、すなわち垂直と水平が対比されているわけではない。あくまでサーフェスを問う限りにおいて、どち らも等価に扱われている。例えば、スタインバーグやクラウスなど、水平性を言祝ぐような、モダニズムの相対化を目論む議論とは一線を画す)。

ちなみに、壁にもたれるように留められ、半ば足を投げ出すかのように壁と床を跨いで展示されていた一枚。写っているのは、床すれすれに構えて撮られた男 性の足です。これもまた、画面内のアイレベルと、ギャラリーの壁と床の直交する線とが絶妙に響き合うよう配慮されていました。さらに、逆光に眩しいすね毛 が、ユーモラスな生気をあたりに波及させつつ、体表(サーフェス)への注意を喚起してやまないのでした。

阿部明子「染みだす閾」(仙台写真月間 2014の一環)
日程:2014.9.30-10.5
時間:11:00-19:00(日曜-17:00)
会場:SARP(仙台アティストランスペース)
仙台市青葉区1-12-7 門脇ビル1F

 

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